太平洋戦争末期、旧日本軍は米本土を直接攻撃するために「風船爆弾」を開発した。放つ基地の一つが現在の福島県いわき市勿来(なこそ)地区にあった。作戦が始まって11月で80年。当時を知る人が少なくなる今、基地建設に携わった男性を訪ねた。
「当時のことはだんだん記憶からなくなっている。一緒に基地建設に従事した同級生は私以外、みんな亡くなった」
いわき市勿来町窪田の石井利水さん(96)はそう話し、語り始めた。
- 風船爆弾をつくった「女の子」たち 加害への加担を繰り返さぬために
基地内の仕事は口外禁止
地元の実業学校に入学した1943年。10代半ばの石井さんはある日、登校すると、旧陸軍のトラックに乗せられた。行き先も言われずに連れてこられたのは基地の建設現場だった。
近くにはJR常磐線の勿来駅や勿来の関がある。低い山に囲まれていて周りからは見えにくい。入り口には拳銃を持った兵士が立っていた。
何をする場所かは聞かされな…